人と人の絆

 

私は昭和32年に福井新聞社に入社し、4年間本社事業部に在籍しました。新聞社の事業部の仕事は多岐にわたります。展覧会、音楽会、料理教室などは昔も今も変わりませんが、当時は絶頂期にあったプロレス興行も新聞社の共催事業として重要な位置を占めるようになっていました。

この種の興行はこれまでは地元の興行師が取り仕切るのが慣例でしたが、近代的なプロレス団体は新聞社との提携を図りました。新聞社にとっては不慣れな興行には怪しげな人物がよく押しかけてきましたが、私は新聞社の建前を押し通し、決していうなりにはならなかったので大変に目立ちました。それを機にスーパースター力道山の知遇を受けることになります。
また他にも、サーカスの開催。大雨で河川敷のサーカス小屋が流され多くの動物が亡くなりました。その慰霊祭に全国のやくざの親分衆が集まり、担当の私が立場上親分達と関わりを持つことに。
その他にも数々ありましたが、歌謡ショーなどのイベントの共催もありました。当時、美空ひばり、田端義夫、高田浩吉などの歌手、俳優、芸人など多くの興行権は神戸芸能社が取り仕切っていました。神戸芸能社の社長は、山口組三代目の田岡一雄氏でした。美空ひばりの公演には田岡氏が同行します。そうした仕事の関係で、担当の私は興行師や興行会社などとの接触が多かったのです。後になって、その田岡氏が、後述の後藤田正晴先生と徳島県の幼馴染みであると聞き、人の不思議な縁を感じました。

大阪支社へ転勤後は営業部で、松下電器やシャープ、武田薬品、田辺製薬、小野薬品、など数多くの企業で営業活動させていただきました。 この4年間で交流の範囲が一気に広がりました。
弱冠26歳で新聞社を退社、大阪で独立を果たしました。業績が上がった頃に社員が勝手に手形を振り出しドロン。この件で暴力団とトラブルになりましたが、自分なりに正攻法で闘い抜き解決できました。人間はピンチに見舞われた時こそ、冷静に気を鎮め頭を使わなければならない、という骨身にしみる教訓を得ることができました。

その後も紆余曲折ありましたが、株式会社福商企画を設立し、再起を果たしました。その当時、大阪福井県人会で知遇を受けていた、関西財界のリーダーだった日立造船会長の松原与三松関経連会長から「君はアメリカではフィクサーという仕事が向いているのではないか」と大変貴重な指針を与えられました。 かくして諸先輩のアドバイス、指導を得て福商企画がスタートしました。企業間の仲介、仲裁、事業の交流という、当時としてはまだ新しい事業分野で、徐々に活動範囲を広げていき、昭和60年に現在の株式会社中嶋事務所に名義変更し現在に至っております。

今でもいろいろな人から、なぜそんなに政治家からヤクザまで多くの人を知ってるの、って聞かれますが、私は仕事上で付き合ったどの世界の人でも、人間的に立派な人ならば、職業や名前は関係なく、あくまでもその人の人格と付き合う、これを信条としております。

昔から、親の意見と冷酒は時間が経つと効いてくるといいますが、30年来ご指導いただいた後藤田正晴先生と橋本龍太郎先生から、いろいろな場で伺った含蓄のある言葉が、今になってよく解ります。そして、お二人の先生方から生存中に受けたご指導もさることながら、亡くなった後、頂戴した形見の品を見るにつけ、先生方の当時の部下の方々が、今や橋本先生の秘書官だった江田憲司氏は国会議員としてみんなの党の幹事長に、他にも政界や都道府県警察の本部長や官僚のトップとして第一線で活躍されている姿を拝見し、人材という大変な遺産を残していただいたことに心から感謝を申し上げます。

 

心に残る言葉と、人の出逢い

 

警察庁長官時代から30数年のお付き合いをいただき、 名誉会員に就任いただいた後藤田正晴先生は、当時ゴルフ場利用税撤廃の措置を求めて日本中のゴルフ場が運動をおこしており、先生には先頭に立ってご尽力いただき、大変お世話になっておりました。
ジャパンセントラルゴルフ倶楽部にも、ゴルフ利用税撤廃要望をかかげるポスターがクラブハウス内に掲示されていましたが、ある日県税事務所の係官が来場しそのポスターを剥がしかけましたが、日本ゴルフ協会の会長は後藤田先生だと聞き恐縮して謝って帰られました。 
その後、平
成15年度よりゴルフ場利用税の一部改正が盛り込まれることになり、18才未満と70才以上、障害者などは非課税となりましたが、利用税の完全撤廃には至りませんでした。後藤田先生には、このゴルフ場利用税が撤廃できなかったことで、私に「中嶋君、最低のことしかできなくて申し訳ないな」と恐縮するような言葉を頂戴しましたが、先生には常に無言の励ましをいただきました。
後藤田先生からはいろいろな色紙をいただきましたが、「忍耐はすべての扉をひらく」 という色紙の言葉のお陰で、じっと我慢して今日まで来れたと思います。

 

後藤田中嶋   後藤田色紙   後藤田

  後藤田正晴先生と

 

    後藤田先生の色紙

 

    後藤田正晴先生を囲んで

     

亡くなった橋本龍太郎先生には、死の一週間前に、病床から「ご苦労多いと思うけど家族を大事に。節造兄、がんばれ!」と自筆の激励の写真のはがきをいただきました。私より三ヶ月遅 い誕生日のため、二人の時はいつも兄といわれ私が身分も立場も頭脳も違うので、それだけは止めてくださいと申し出たこともありました。

橋本先生と、小野薬品工業佐野社長
橋本佐野 はがき小


人生の師、呂 良煥先生 

私はこれまでに身に余るほど各界の多くの方々にお会いし、[この人に会えて良かった]と心から思い、感謝の念でいっぱいでございます。
特にお目にかかって30年以上になります呂良煥先生には、良い時も悪い時も、微動だに変わらぬ人格の豊かさには頭が下がる思いです。人の絆、人の道、そしてゴルフの師匠として、人の道とゴルフを通じての人間としてのマナーを導いていただいた恩人です。  
呂良煥先生曰く、「人間、健康第一。一の後ろに〇(ゼロ)が幾つ付いても、一が無くなった時は〇(ゼロ)よ」と。 誰しも生まれた時から死に向かっている事だけは確かなことなのに、欲に走る人が多いということも念頭に置いておきたい。さすがゴルフの発祥の地イギリスにおいてゴルフ界でただひとり 「ミスター・ルー」と呼称される由縁に、心から感謝の念と敬意を表する思いでいっぱいです。 
今、私の中学生と小学生の二人の息子達も、プロゴルファーを目指し、呂良煥先生と呂西鈞プロにご指導いただいておりますが、本当に身に余る多大なご好意とご助力に、感謝の言葉もありません。


呂 良煥  アジアが生んだ世界的なゴルファー。「ミスター・ルー」は、台湾や日本でよりむしろヨーロッパで知名度が高く、1971年の全英オープンでりー・トレビのと争って2位となった。その際、呂プロの打った球が見物中のギャラリーに当たったが、呂プロはプレーそっちのけで駆けつけて謝まり、ラウンド後には病院へ。この行為が話題となり、呂プロには全英オープンの終身出場権が与えられたほど。日本でも10勝以上上げている。

呂 西鈞  呂良煥プロの甥で、自身もプロゴルファーとして日本をはじめ世界中で26勝を誇る。台湾のプロゴルフ協会の理事長としても活躍し、オーストラリアにおいてプロゴルファーを指導するための研修を5年にわたって積む。ジュニアゴルファーの育成にも力を注ぎ、「ヤニ・ツェン」など有望な若手を指導ぢている。
 

呂1   呂2   呂良歓

 

 

 

 

  

呂二人   呂西きん2   呂西きん3
陳

台湾の政財界の重鎮、陳 朝傳さん 

淡水ゴルフクラブ会長で、士林紙業や萬海航運などの董事長、オーナーとして、世界的に事業展開されている陳朝傳さんは、 また台湾の政財界の重鎮として、台湾総統府の国策顧問などの要職にもありました。
我が国でも政財界のトップとの関係も深く、岸信介元首相や、石原慎太郎東京都知事、小佐野賢治氏、児玉誉士夫氏、笹川良一氏、廣済堂の創業者櫻井義晃氏など、交友関係は各界多士済々にわたります。
私も呂良煥先生を通じて三十年近くの永いおつき合いをいただいております。 

 

岸大 石原大
岸信介元首相を囲んで、陳会長と廣済堂櫻井義晃氏ら 石原慎太郎氏と陳会長

 

 

 

 

有馬

                         

有馬頼底 臨済宗相国寺派管長

金閣寺、銀閣寺の住職も兼ね、京都仏教界の理事長として京都の伝統の保持と、発展に尽くしてこられた有馬頼底師には年に何度かお目にかかる機会があり、いつも無の道を生きる師ならではの、卓越したお話をお伺いいたしますが、「肩の力を抜いて生きることが、逆境を好機に変え、本当の力が出せる」と。
仕事もスポーツも、肩の力を抜くことが一番大事なんですよと教えられています。




森
 










森2
 

       森 喜朗元総理の媒酌で結婚式

 

           森 喜朗元総理と長男

 

 

長嶋さん 王さん
            読売ジャイアンツ 長嶋監督と                 ダイエーホークス 王監督と   
プロ野球OB

 

また日本プロ野球OBクラブ川上哲治会長を始め豊田泰光氏、土井正三氏、一枝修平氏、島野育男氏、青田昇氏、秋山登氏、土井淳氏、川藤幸三氏、小林繁氏、松沼雅之氏、工藤一彦氏、中西清起氏ら25名参加のチャリティゴルフなど福井のPRに少しでも貢献できたと自負致しております。 川上中嶋
加山雄三さんや北島三郎さん、落合博満さんらも来場され、人生経験の豊富な方ならではの貴重なお話しが今も胸に残っています。その他、阪神タイガースの選手らとのチャリティゴルフ  や少年野球教室も開催しました。また、名誉会員の星野仙一氏は「星野仙一カップ」という倶 楽部コンペを開催されました。
加山さんは、ご自分が事業で莫大な
借金を抱えた時の話を話され、 自分
が苦境に立った時、始めて人の心が
よく解った。今まで側に寄ってきた人
たちが、 状
況が悪くなるとあっという
間に背を向
け離れていってしまった。
状況が良くなったとたん、また平気で
皆さん顔を見せるようになったよ、 と
笑って話してくれました。ちなみに加
山さんは、橋本龍太郎先生と麻布高
校、慶応義塾大学の同期で同じクラ
スでした。
加山色紙 北島2
          加山雄三さんの色紙             北島三郎さんと

西川夫妻
落合

後藤田先生と、中嶋さんのためなら、と他の人の応援には絶対に行かない西川きよしさんが、徳島まで飛行機で選挙の応援に。 飛行機が大の苦手なヘレン夫人はご主人と別行動で船と鉄道で徳島へ。 

 

      落合博満氏ご夫妻と




真弓岡田川藤 日隈本田中嶋 藤原弘達

左から、元阪神タイガースの岡田彰布氏、川藤幸三氏、真弓明信氏と。
大阪の中嶋事務所本社にて。

 

左から、佐藤龍太郎氏(佐藤元首相の長男)ハギノカムイオーの馬主として有名な、(株)新橋の日隈氏、JR西日本の専務の本田氏と。

雑誌の企画で、政治評論家の藤原弘達氏と対談。様々な話で盛り上がりました。

星野仙一   阪神   有藤

          星野仙一氏と

 

 

阪神タイガースの選手らと一緒に。
左から木戸氏、中西氏、平田氏、川藤氏

 

 

NHKの有働由美子アナウンサーに抱かれる私の長男

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