民事再生のいきさつ

ジャパンセントラルゴルフ倶楽部 民事再生のいきさつ

私が創設し、平成5年7月にオープンいたしましたジャパンセントラルゴルフ倶楽部を運営しておりました
株式会社ジャパンセントラルは、 平成16年7月に遺憾ながら民事再生法の申請するに至りました。 民
再生以降、時間も経過しましたので、民事再生に至るまでの経緯、 またその間にあったさまざまな出
来事
どを改めて振り返ってみたいと思います。 


ジャパンセントラルゴルフ倶楽部 会社設立からゴルフ場完成まで。

福井県坂井郡金津町が総合開発企画の中核プロジェクトとしてゴルフ場の誘致を決定。当初は小野薬
品工業株式会社に打診されたが、  同社の顧問であった私に 「中嶋さんのふるさとだからあなたがやり
なさいよ」 との小野薬品側からの進めもあり、 (株)中嶋事務所に申し入れがありました。町長、議会関
係者らが足繁く大阪の株式会社中嶋事務所を訪れ、重ねて協力を要請されました。
私は親交のあった 「世界のミスター・ルー」と敬称される台湾のプロゴルファー呂良煥プロ、(株)中嶋事
務所の顧客でもあり、 ゴルフ場建設で経験豊かな(株)大林組に専門家としての判断を求めた結果、あ
らゆる面でゴルフ場として最高の条件を備えているとの最高の評価を得て、同町の申し出を承諾し、会
社設立へと一歩進めることになりました。 

資本金6,000万円。  発起人には私が顧問をつとめる各有力企業が名を連ねました。 そしてこの当時
全国的に環境保全が叫ばれて規制が強化され、また会員権乱売事件の影響から、会員権の取扱いに
対する通産省の指導も厳しくなり、 ゴルフ場建設は逆風にさらされていたが、 前例のないスピードで平
成2年(1990)11月30日付けで国、 県より開発許認可が下り日本一早いといわれた。
そうして日本一のゴルフ場を目指し工事はスタートし、 施工の大林組のスタッフとは厳しいチェックや頻
繁に検討会を重ね、 設計の変更や工事のやり直しになった例も枚挙にいとまがありません。 許認可の
交付着工からオープンまでの約二年半、土日を挟んでの半分は文字どおり雨の日も風の日も、炎天下
でも雪の日でも現場を歩きました。ゴルフ場の開発事業計画を発表してからオープンするまでの約5年
間に大阪ー福井の往復は実に300回を超しました。その間ベンツ2台をダメにし、 運転手を事故で亡く
してしまう悲劇も味わいました。


平成5年(1993)7月 ジャパンセントラルゴルフ倶楽部開場

「日本のゴルフ文化を育て、かつ世界に誇れるゴルフ場を」 という理想と信念を掲げて開場したジャパ
ンセントラルゴルフ倶楽部。 設計監修の呂良煥プロを始めとして、設計施工の(株)大林組他、一切の
妥協を排して工事を推進していただいた皆様方の力の結晶だと思います。

ゴルフの源流イギリスに範を求めて、 クラブハウスの什器、 備品などもイギリス国内を2,000キロ以
にわたって旅をしながら一点づつ吟味し、特注してコンテナで日本へ運びました。 この旅行の3ヶ月
に私は過労のために胆のう結石を摘出する大手術を受けていて、  まだ傷口は完治していなかった
ので
すが晒をしっかり腹に巻いての旅立ちでした。 後に福井でイギリスのサッチャー元首相を迎え、
日英親
善の会が開かれた時に、 この福井のゴルフ場にイギリス製品をたくさん揃えたことが話題にな
り、サッ
チャー元首相と二人で15分会話をさせていただき、 お礼の言葉を賜ったことも思い出として
残っております。


民事再生に至った理由

各方面からグレードの高さと評価を受け、相応の知名度を誇って順調に運営しておりましたが、バブル
経済崩壊の余波を受け、会員募集が予定数に達せず、入場者数もメンバーの来場者が北陸で一番少
ないなど減少の一途を辿りました。 他にもプレイ料金がオープン時の半額以下に、また年会費の未納
者やご高齢者の休会員の増加、オープン後10年が経過し修理修繕箇所の増加など売上高も最盛期
の半分以下にまで落ち込んで諸経費負担も増加。加えて、オープン後満10年を経過した平成15年頃
より、会員からの預託金の償還請求が相次ぎ、預託金返還が経営上の大きな課題として浮上してきま
した。 私はそんな厳しい状況下でも絶対民事再生はしないと宣言していましたが、 入会者の中には
福井銀行の市橋頭取から全責任を持つからメンバーになれといわれて入った方が多く、償還手続きを
求めてくる方の90%以上が福井銀行からの紹介者でした。

ついでながら私が東京、 大阪で培ってできた人脈で入会いただいた方 (当時全体の約三割) からは、
誰ひとりとして預託金の返還請求された方はおられませんでした。  そんな経済状態のなかでの償還
請求に対し、 当然会社に資金があるわけはなく、 私は仕方なく大阪府豊中市緑が丘の2億5,000万
の宅地建物、 千里の9,500万のマンション、 そして福井市のさくら通りに面した 2億6,500万の4階
建てのビルなど私の資産を売却し、その資金で償還金(分割払いも含め) や諸経費にあててまいりま
した。 

福井銀行の先代の頭取だった故市橋保氏とは数十年のつきあいがあり、 堅い信頼関係で結ばれてい
ました。ジャパンセントラルゴルフ倶楽部建設
に際してもいろいろとご協力をいただき、理事長をお願い
したほどです。それが市橋七郎氏が頭取にな
ったとたん、経営方針が1800度変更、弊社に対する対
応が一変。 ある日突然「融資との相殺」との理由で私の大阪、 福井の福井銀行の個人名義の口座か
ら無断で自動的に引き落とし預金がゼロになったことも。 様々な経済状況で経営の状態が徐々に悪く
なり、 社内の合理化を図りましたが状況はなかなか好転しないため、 倶楽部役員や主だったメンバー
さんにも意見を求めてご理解をいただき、具体的な対策に乗り出しました。幸いにもコース敷地以外に
打ち放し練習場や野球場、テニスコートとして利用していた土地が遊休地としてあり、この土地を大阪
の会社に住宅地として売却しました。売買価格は福井銀行の融資残高と同じ25億2,7655万2,657
円、 この売買金額は直接福井銀行へ、そっくり振り込んでいただきました。


理事会で民事再生法申請を決定

福井銀行の紹介で入会された方で、 ゴルフローンを利用された方のうち、 倒産や諸事情によりローン
の支払が不可能になった方の代弁が、 ローンの保証人である(株)ジャパンセントラルの方へ回り、そ
の弁済分だけでも数億円にのぼりました。 加えてローン支払延滞に対する立替え金の増加。 福井銀
行の借入れの異常な取り立ては、入院中の会員の病室にまで乗り込んだこともありました。立替弁済
しなければ、福井銀行から融資を一括返還請求されるので支払わない訳にいきませんでした。

(株)ジャパンセントラルは、 福井銀行には借入金額20数億に対して、  当時の相場で100億以上の
担保がありました。 そんな時、倶楽部の理事でキャプテンでもある福井新聞社の吉田耿介社長から、
「個人で支払うなんておかしい。 そこまでして一部の人に返還していくことは大変だし不公平だ。 理事
会を開いて民事再生の申請をした方がいい」と強力に指摘され、そこで理事会、 役員会を開催、全員
一致で民事再生法の申請止むなしとの結論に至りました。メンバー様のプレー権を維持しつつ経営の
再建を図るためやむを得ない今回の措置でした。

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