私がお目にかかった政治家

大阪を中心に、東京、福井で約40年に渉り事業に携わり、幾多の政治家の方々とお会いし、永年のお付き合いの中で、いろいろな場で伺った含蓄のある言葉が、今になって良く解ります。万巻の書を読んで得られるものと同じ程、一人の先達に接して得られるものは大きい。人との出会いを大切にし、その絆の強さを力の源としてまいりたいと思っています。

 
岸   信介氏  第56、57代総理大臣(1957年2月〜1960年7月)

呂良煥プロを通じて知己の、台湾の政財界の重鎮、陳朝傅さんと親しく、台湾で初めてお目にかかった。陳さんは岸元首相始め廣済堂の櫻井義晃氏や石原元東京都知事、笹川良一氏ら我が国にも交友関係が広い。


田中 角栄氏  第64、65代総理大臣(1972年7月〜1974年12月) 
    
田中角栄氏は、凄みや威圧感がある一方、ユーモアがあり、人情味を兼ね備えていて国民に人気があった。一度顔を見た人は絶対忘れない。別の場所で会ったら、名前を呼ばれてびっくりしたという人が多い。
列島改造論で日本中を沸かせたが、自分のグループの仲間を大切にする人で、面倒見がよく、今の政治家の自分中心の姿勢とは大いに異なる。
東京でタクシーに乗ると、運転手が「今の世の中、田中角栄みたいな人が出てこんといかん。悪いことしたかもしれんけど、私らは好きやな〜」と。
後藤田正晴先生が警察庁長官時代、中山競馬場で初めて田中氏と対面した時、田中氏は後藤田先生のことを「今日は素晴らしい牝馬を見つけた」といったら後藤田先生は「牝馬とは何事だ」と。田中氏が亡くなった後も、後藤田先生は「私は田中派」と終始通した。



後藤田正晴氏  警察庁長官を経て衆議院議員、官房長官や宮沢内閣で副総理など歴任

後藤田先生は、宮家に関係のある当時朝日生命法人部長だった松井吾郎さんの紹介でお会いしまして以来30数年に渉りお世話になりました。田中角栄氏の懐刀として、また「政界のご意見番」といわれた後藤田先生には、いただいた「忍耐はすべての扉をひらく」という色紙の言葉のように、常に無言の励ましをいただきました。
ゴルフ場利用税が一部改正のみで完全撤廃とならなかった時も、「最低のことしかできなくて申し訳ないな」とお言葉をいただいたが、陳情に対する先生の姿勢は、できなかった時は、こういう理由でダメだった。うまくいった時は、俺がしたと言うな、うまくいってよかったな、と。
濱田卓二郎氏が選挙違反に問われた時、田中角栄氏から、何とかしろ、といわれたが、後藤田先生は頑として断った。しかし、翌日には濱田氏の問題はクリアされていた。このあたりが内務省時代から能吏の評価が高く「カミソリ後藤田」の異名があった所以か。
先生は、憲法改正には慎重で、特に第9条の改正には絶対反対を唱えていた。戦争放棄を定めた第9条に基づき日本は専守防衛を国是としている。「自衛隊は他国からの不法な侵略を防ぐためにのみ存在を許される」という信念にもとづき、自衛隊のペルシャ湾派遣を見送らせた。
余談ですが、後藤田先生と山口組三代目田岡一雄氏とは同じ徳島県人で、 小さな頃からの知り合いだったそうで、成人してから、片や警察官僚のトップ、片や日本の首領といわれたヤクザ組織のトップ。立場の違いこそあれ、共に麻薬撲滅に尽力された。



後藤田正純氏  衆議院議員    

後藤田正晴先生の大甥。筑波大学附属駒場高校から慶応義塾大学を経て、三菱商事に入社。これは大叔父の後藤田先生の「政治家は社会経験をしてからなるべきだ」という信条による。入社後3年が経ち、選挙に立候補したいといったとき、後藤田先生はたった3年で世の中のことがわかるか、とダメ出し。さらに3年勤務し、ようやく入社6年後に退職して2000年に衆議院議員選挙に出馬し初当選。今になると社会生活を経験してきたことが政治生活に生きている。



福田  赳夫氏  第67代総理大臣(1976年12月〜1978年12月)



大平  正芳氏  第68、69代総理大臣(1978年12月〜1980年6月) 



中曽根康弘氏  第71、72、73代総理大臣(1982年11月〜1987年11月) 


海部  敏樹氏  第76、77代総理大臣(1989年8月〜1991年11月)         



村山  富市氏  第81代総理大臣(1994年6月〜1996年1月)


橋本龍太郎氏  第82、83代総理大臣(1996年1月〜1998年7月)    

後藤田正晴先生から、これからはもっと若い人たちとも付き合いなさいと紹介されたのが、橋本龍太郎氏と、濱田卓二郎氏。橋本先生は、会うなり握手して、同じ丑歳生まれ、これからは丑歳会として角なしでいきましょう、と。
昭和2ケタ世代で初めて入閣して厚生大臣となった。在任中、薬価問題で小野薬品工業との間でもめていた時に仲介に立ち、それが縁で小野薬品工業の顧問に就任した経緯があります。
別項の「人と人の絆」でも紹介しておりますが、2006年に私のゴルフ場の民事再生法申請の頃、多臓器不全で亡くなる一週間程前に、病床から自筆のハガキをいただき、「ご苦労多いと思うけど家族を大事に。節造兄、頑張れ」と励ましていただきました。私より三ヶ月遅い誕生日のため、二人の時はいつも兄といわれ、私が頭脳も身分も立場も違うのでそれだけはやめてくださいと申し出たこともありました。



森  喜朗氏  第85、86代総理大臣(2000年4月〜2001年4月) 

最初の出会いは、小松空港から東京へ向かう飛行機の中。旧知の加賀九谷焼の窯元、長右ェ門窯の上出長右ェ門氏に紹介されたのがきっかけです。上出氏は森先生の地元後援会長で、それ以降お付き合いをさせていただくようになり、ゴルフ場の名誉会員にもなっていただきました。
私が結婚することになり、最初橋本龍太郎先生に仲人をお願いしていたのですが、あいにく海外出張ということで、急遽森先生に仲人をお願いしました。森先生は、息子さんはいくつ?と、てっきり私の息子が結婚するので仲人を頼まれたと思われていたのですが、実は結婚するのは私ですといったらびっくりしておられました。



小泉純一郎氏  第87、88、89代総理大臣(2001年4月〜2006年9月)


福田 康夫氏  第91代総理大臣(2007年9月〜2008年9月)


安倍 晋三氏  第90代総理大臣(2006年9月〜2007年9月)        
                          第96代総理大臣(2012年12月〜)

お父さんの安倍晋太郎氏からのお付き合い。大学卒業後神戸製鋼に入社。3年間の勤務の後、1982年から当時外務大臣だった父安倍晋太郎氏のもとで秘書となり、急死された晋太郎氏の跡を受け継いで1993年の衆議院議員総選挙に初当選。
最初の頃は、いかにもお坊ちゃんといった感じだった。社会人としての挨拶もきちんとできなかったという記憶が残っているが、今は一皮むけた積極的な一面を感じる。しかし、昨今の言動やニュースを見ていると、憲法改正問題など危険性も感じるのが心配だ。





この他、数多くの政治家に出会ってきたが、また日を改めてご紹介します。













 
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